鈴木その子の遺産は88億!旦那いるけど娘が一人で相続した理由は遺産争いが原因?

1990年代後半に「美白の女王」としてテレビで大活躍だった鈴木その子さん。

白塗りにした仮面のようなお顔に、集中的にライトを当てるなどしながらテレビ出演されていたのが印象的でしたね。

鈴木その子さんはダイエットの本を出されたり、美白化粧品を販売されたりと実業家としても活躍されていた方です。

そんな鈴木その子さんについて調べてみました。

目次

鈴木その子のプロフィール

こちらが鈴木その子さんのプロフィールとなります。

名前:鈴木その子

本名:鈴木荘能子(そずきそのこ)

生年月日:1932年1月20日

没年月日2000年12月5日(享年68歳)

職業:美容研究科・料理研究家

出身:東京都

中・高校:山脇学園中学校・高等学校

大学:学習院大学女子短期大学

鈴木その子の遺産は88億円!

テレビに出たり実業家として活躍されていた鈴木その子さん。

2000年12月5日にお亡くなりになられています。

その際の遺産が88億もあったと話題になりました。

その子さんの会社「トキノ」の年商は91億と言われていました。

不動産や株式や預金が凄い

税務署の公示によると、その子さんの遺産は、その子さんの会社「株式会社トキノ」の株式や預金目黒区の不動産総額88億円だったそうです。

当時田園調布で建設中だった「その子御殿」の土地や建物は会社名義だった事もあり遺産には含まれていないそうです。

「その子御殿」を建設していた場所はホテルニュージャパン等の経営者だった横井英樹氏から13億6千万円で購入したものだったそうです。

当時のメディアでは大きなニュースとして取り上げられていたそうです。

相続税だけで55億!

鈴木その子さんの遺産は娘のまゆみさんが一人で相続されたそうです。

相続税だけでもなんと55億円

桁が違いすぎて訳が分かりませんね。

もう一人の法定相続人であるその子さんのご主人は何らかの事情により相続しなかったようです。

もし、ご主人も相続されていれば相続税には配偶者控除があり、配偶者の法定相続分または1億6千万円までのどちらか大きい額までは、相続税が控除になるそうです。

仮にご主人が遺産の半分の44億円を相続していれば相続税の支払額は約半分になったのではと考えられるそうです。

ちなみに、昔の方が相続税が高かったそうなので、今だったらまた違うのでしょうね。

鈴木その子の生い立ち

鈴木その子は裕福な家庭に生まれた

鈴木その子さんの父親は幅広く事業を営む父と母の3番目の子として東京目黒区に生まれたそうです。

子供たち一人一人にもお手伝いさんがつくような裕福な家庭環境だったそうです。

そのお手伝いさんの調理の様子を見ていたせいか2歳になるとおままごとの代わりに料理を始め4・5歳頃にはたいていの物が作れるようになっていたそう。

学習院女子短期大学を卒業後に結婚

鈴木その子さんは学習院女子短期大学の書食品科学科のご出身です。

学生時代は「栄養学概論」や「生理学」に興味を持っていたそうで、何事も自分で学ぶ自立心をもった女性だったそうです。

しかし、明治生まれの母親も当然のように「女の子はお嫁に行くのがいちばんの幸せ」と言う考えだったそう

親の勧めもあり実業家の鈴木康郎さんと見合いをし、短大卒業と同時に結婚されたそうです。

その後、康郎さんとの間に一男一女をもけ、専業主婦となったそうです。

それにても若い頃の鈴木その子さん。とてもお綺麗ですよね

レストランをオープン

父親が亡くなった事をきっかけに、1974年に銀座6丁目に新日本料理「トキノ」をオープンさせました。

子供時代から料理が大好きで人を喜ばせることが大好きだったその子さん。

自分の作ったものを食べて「美味しい!」と言ってもらえる瞬間がいちばん幸せだったそうです。

お店の評判も上々だったそうです。

息子の死

鈴木その子さんは1976年5月に息子さんを亡くされています

当時、予備校生だった息子さんは極端なダイエットの結果、体力が著しく落ちてしまったそうです。

拒食症による貧血が原因でマンションの5階から転落死してしまったそうです。

その子さんの母親は美食による肥満から動脈硬化を患った末に亡くなられているそうです。

最愛の人たちを誤った食事が原因で亡くされているその子さん。

その事から「SONOKO式食事療法」を完成させ、多くの人に知ってもらい、生命を救っていきたい

「食の理論」の伝道者になろうと決意されたそうです。

書籍がベストセラーに

食事によって健康的に病気予防・肥満防止が図れるようにと料理と健康の関係についての研究に没頭するようになります。

できるだけ農薬や添加物のない食材を選び、下処理で危険な因子を抜き取ったり、添加物の原型である油脂も使わないといったメニューを開発されたそうです。

そして、1980年に著書『やせたい人は食べなさい』を発行し、瞬く間にベストセラーとなったそうです。

当時は“吐くダイエット”っと言うものがまだ容認されている風潮の世の中だったそうです。

それを止めれるのは自分しかいない!と奮闘されたようです。

化粧品を開発

その子さんは人々の健康を考え業務を拡げる中で、人々の化粧品に対する無知さに気づいたそうです。

それと同時に世の中にあるれる化粧品の危険性に対する問題意識が高まり、オリジナルの化粧品を開発することに。

「人間本来の美しく健康な状態を生み出すには、どうすればいいのか」など、一つひとつ難題をクリアにし、

1990年にはスキンケアライン「トキノコスメ」の販売を始めたそうです。

化粧品の開発にも他社の研究結果に頼る事なく、オリジナルな製品を開発されたようです。

テレビ番組「未来ナース」に出演!

その子さんは1998年に「未来ナース」と言うテレビ番組にレギュラー出演されていました。

当時渋谷などにいたガングロギャルの子達を白く変身させるというコーナーでブレイク

その番組で出会う女の子たちの肌の汚さにびっくりし、間違った美容法を鵜呑みにした結果ではないのかと考えます。

そして、「ここにも自分の使命がある」と感じ、肌をいじめず内側から美肌をつくる「美容理論」の普及に力を注いでいったそうです。

そして顔の白さを強調するライティングで

鈴木その子=美白

と言うイメージを定着させました。

テレビで大ブレイク!

テレビ出演の機会も増え、独特の白塗りメークとユーモアのあふれる話術も受けて1999年から2000年にかけては「笑っていいとも!」にも準レギュラーとして出演していました。

水着姿で週刊誌のグラビアに登場したりとサービス精神も話題となりました。

当時もテレビに出演されていた際には睡眠時間は2・3時間で立ったまま仕事をしていると言っていました。

突然の訃報

鈴木さんは2000年12月5日に亡くなられています

最後のテレビ出演となったのは11月23日の「笑っていいとも」だったそうです。

収録中はしっかりしているように見えましたが、楽屋では支えがなければ立ち上がれない状態だったそうです。

9月頃から風邪をひき、なかなか治らないまま、10月には初めてパリコレにも出展したそうです。

その前後の激務が重なったせいか、帰国後はさらに体調が悪化し、車いすで移動しながら仕事を続けていたようです。

その後、年末の仕事に備え、入院をすることに。

しかし、入院して1週間で肺炎で亡くなってしまうのです。

まだ、68歳と言う若さで亡くなってしまうなんて、とても残念ですね。

まとめ

鈴木その子さんは1990年後半から数々のテレビ番組で美白の女王としてブレイクされていました。

その遺産は88億もあり相続税だけでも55億だったそうです。

鈴木その子さんは間違った食事法で家族を失った経験から、研究をかさねどうしたら健康でいられるのかと言う正しい情報を発信されていました。

亡くなる直前まで懸命に働き、人の為に動いていた方だったのではないでしょうか。

亡くなってから20年以上が経つ現在でも鈴木その子さんが発信していた事はとても大事なことだったと言うのが分かりますね。

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